※GRASSの新企画!として、GRASSメンバーにインタビューをし、それぞれどのような生き方・キャリアを歩んできたのかを発信することとなりました。
記念すべき第一回は、GRASS立ち上げメンバーの一人でもある美濃部真光さんです。(実施日:2017年2月9日、聞き手:GRASS今井)

美濃部さんの主なお仕事

<今井>
今日はよろしくお願いします!実は2015年11月にGRASSでセミナーを実施した際にも、美濃部さんがゲスト、私がコーディネーターとして、美濃部さんのこれまでのキャリアや今後の働き方について伺っているので、じっくりとお話伺うのはこれで2回目になりますね。
今回はより深く、今の生き方・働き方を作ったマインドにも焦点を当てて進めて参りたいと思います!

さっそくですが、今どんな仕事をされているのか教えてください。

 

 

 

 

 

(インタビュー風景。左が美濃部さん、右が今井)

 

<美濃部>
NPOでは2つの団体でスタッフとして働いてから、2014年、自分が35歳の時に合同会社MP Launcherを設立して、独立。地域イベントの企画・運営、非営利組織やアントレプレナーのコンサルティング、美大を卒業して仕事がないような若手デザイナーたちと、デザイナーを探している企業・個人とをマッチングする事業などに取り組んでいます。

他方で、他のNPOの仕事も業務委託の形で引き続き行っています。もともと勤めていたNPO法人地球と未来の環境基金(EFF)では、環境分野の助成プログラムのプログラムオフィサー(注1)、森づくり事業、バカス普及事業(注2)を担当。一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト(abt)」でも、同じく助成に関わる仕事を担当しています。

 

今に至る原体験

<今井>
う、いきなりパンチが強い。いろいろやられていますね〜。

でも、もともとNPO/NGO分野に関わるようになったきっかけは環境分野でしたよね。今に至るまでの経緯はどんなものだったのでしょうか。

<美濃部>
NPO/NGO分野に関わるようになったきっかけは大学時代。生まれつきアレルギー体質で、中学3年の時に呼吸困難で死にかけたことがあります。それで、アレルギーの主な原因としてあげられる食品添加物に汚染されない健康的な食品の研究をするため、北海道の大学に進学しました。地元千葉から北海道に引っ越すと、あんなに苦しんでいたアレルギーがすっかり治ったんです。北海道の雄大な自然に感謝しました。

他方で大学近くでは、山を切り開いてゴミの埋め立てが進んでいました。

<今井>
それは・・・、強烈な経験をされたのですね。

<美濃部>
北海道の自然のおかげで命を救われたと思っていたので、何かできることはないかと、大学の学園祭でごみ分別を推進する活動を始めました。ごみを分別すれば、リサイクルできるものが増えて、埋め立てる量が減ります。その分、山を削ることもなくなるでしょう。そこから、学園祭

の時だけでなく日常的に大学自体が環境対策に取り組むよう働きかけたり、最終的には北海道全域の学生環境活動の発展に携わるようになったりしていきました。

 

 

 

 

 

 

並行して、全国で環境活動に関わる若者を支援、ネットワークしていたエコ・リーグのイベントや、首都圏の大学で行われていた環境活動に参加するようになりました。学生の活動ですが、首都圏の活動のほうが道内の活動よりも、内容や組織マネジメントがずっと洗練されていることに衝撃を受けたんです。自分なりに頑張っていたつもりでしたが、首都圏の活動に比べて、道内の活動はまだ途上なのだと思い知りました。地方ではどうしても情報や人的資源が限られるため、また、当時は市民活動への理解が乏しかったために、都市部と地方の格差を否応なく見せつけられることになりました。

 

<今井>
それで、大学卒業後はどうしたんですか?

<美濃部>
いったんは外食産業に就職したのですが半年経たずに辞めて、環境問題の解決に向けた NPO・企業・行政等のパートナーシップの促進に取り組む組織地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)に入職しました。

加えて、エコ・リーグの活動にも本格的に関わるようになって、2006年と2009年にはエコ・リーグの代表理事を務めました(注3)。小規模ではあるけれどNPOの経営に代表という立場で関われたのはすごく良い経験になったと思います。

2006年にエコ・リーグの代表をしていた時に、ある助成金を受けて組織基盤を強化して、事業を発展させることができたという経験があって、助成金の効果を実感しました。適切なポイントに適切なタイミングで助成金を得ることができれば、こんなにも団体の活動を広げることができるのかと。

それで、今後は自分が助成プログラムを運営する仕事がしたいという思いが強くなり、28歳の時にEFFに転職しました。

ミッションの再設定、独立へ。

<今井>
お話を伺う限り、かなりご自身のミッションに沿ったお仕事をされてきたように思えるのですが、なんでわざわざ独立したのですか?

<美濃部>
理由は大きく3つあります。

一つは、環境分野にとらわれず仕事をしたいという気持ちが高まったから

今、社会の問題はどんどん複雑になってきていて、「環境問題」は直球の環境対策という枠組みでは解決できなくなってきています。

交通事故を例に説明してみます。交通事故は、交通安全(法制度強化やマナー向上)や道路整備、自動車技術の発展によって、格段に減ってきています。でも昨今は、高齢者の交通事故が増えている。これは「交通」というアプローチだけでは解決できなくなってきているせいなのだと思います。総合的福祉の視点が必要な段階なのだと思うのだけど、社会がまだ追いついていないのではないかと。

これと同じようなことが環境分野でも起きているのだと思います。大気汚染や廃棄物の問題など、一定程度は解決したと言っていいと思います。けれども、今もなお残っている環境問題がある。それらは、「環境」というアプローチだけでは解決できないから残っているのであって、「福祉」や「まちづくり」、「国際」、「子ども」、「地域経済」など、本当にたくさんの分野の視点も合わせて取り組んでいかなければならない。だから、既存の分野にとらわれない活動を広げるために、独立という道を選びました。

もう一つは、EFFで助成金のプログラムオフィサーとして日本各地をまわる中で、多くのNPO/NGOの組織基盤の脆弱さを実感して、どうにかしたいと思ったからです。具体的には、人材を活かしきれていない。スタッフの能力を最大限に引き出せられれば解決できる組織課題もあるのに、スタッフの能力を引き出す努力を怠り、目先の助成や寄付を求めていく姿勢に疑問を感じることがあります。NPO/NGOの最大のリソースは人材です。人材を活用しきれていない団体に助成を出しても、助成の効果が一過性のものに終わってしまいかねない。

そのように、北海道での活動の経験、全国のNPO/NGOの課題に向き合った経験、エコ・リーグの組織経営の学びから、「金銭的・人材的・情報的格差が拡がる過疎・高齢地域であっても、積極的・主体的に変革を目指せる社会」というビジョンを目指して、「資金と人材の適材適所を促し、最大限の力で多角的な事業を推進していく」というミッションを掲げて、合同会社MP Launcherを設立しました。特に、北海道という土地で受けた原体験は大きく、格差の拡がる地域にとっては経済的な循環も引き起こせる活動であることが重要であるため“事業化”にこだわるポリシーとしています(参考:図1)。


(図1:美濃部さんの考えるNPOの使命・役割)

 

最後にもう一つは、率直に言って自分の収入を上げるためでもあります。単一の組織で雇われている中で収入を上げようとしたら、自分の業務価値を上げて「単価」を上げるように交渉するか、働く時間数を増やすかしかない。そうではなく、どうせ色々とやりたいことがあるのなら、それをどんどん仕事にしていって、やればやった分だけ収入に跳ね返るような仕組みにしたいというのも、独立の大きなモチベーションの一つだったと思います。

<第2回に続く!>

※次の記事では、独立当時の心境と現在のリアルな状況、これから取り組んでみたいこと等について、お話をうかがいます!


<<注>>

(注1)「プログラムオフィサー」
助成金の配分・交付に向けたプログラム設計全般や、助成金を出した先のサポート・評価等を行う、一種の専門職。当該分野に関する幅広い知識・経験を要する。

(注2)「バガス普及事業」
バガスとは、さとうきびから砂糖・黒糖の原料に成る「ショ糖」を絞った後に残る搾りかすのこと。EFFでは、これを原料にして作られるエコ容器を普及する事業に取り組んでいる。

(注3)エコ・リーグでは、当時、定期的に代表理事が交代する仕組みになっていた。