ソーシャルセクターで働く人のための
GRASS勉強会シリーズ「キャリアデザインについてあらためて学ぶ」第1回
を、10月7日に開催した。

集まった11人のキャリアの状態、感性、方向性は実に多様で、
特に半数が複数の組織に所属して報酬を得ているという働き方を選択している
ということが印象的だった。

ディスカッションでも自然と、パラレルキャリア、マルチジョブ、複業
といったテーマに及ぶことになる。

その中にそもそも「パラレルキャリア」という表現にはしっくりきていない、
という声もあった。

どこか、大企業での本業(本流)があって、
プロボノなどの活動やごく部分的な副業を持つことを並行(パラレル)する
という「支流」を持っている状態のことを表しているように感じると。

志向しているのはそうした状態ではなく、

自分自身のキャリアの方向性やビジョンが先にあり、
それを達成するための手段としての複業を選択している。

なので、表現としてはマルチジョブ複業という方がまだしっくりくる、
ということだった。

なるほど。だいたいこういう違いがあるというイメージだろうか(図)。

 
私自身もマルチジョブを選択している身なので、納得感のある話だと思った。

数年前、前職の地方公務員を辞めた直後から現在でも、複数の所属・仕事を持っている。

最初のころは、自分自身がどんな方向性でキャリアをつくっていきたいか、
実にぼんやりとしたイメージしかなかった。ほとんど表現できていなかった。

ただ、直感的に、

「この人と一緒に仕事がしたい」と心から思えるかどうか

を唯一の判断基準にしてきただけだった。

その判断ができた仕事は今でも続いているし、
直感が働かなかったけれどやってみたという仕事は、
残念ながら違和感が強くなって離れたこともあった。

収入源としての大小はあるものの、どれが本業、という認識は自分の中にもない。

まだはっきりとは見えていないけれど、

パーソナル・ミッションを達成するキャリアの方向性のイメージがあり、
それにフィットする仕事がどうやら複数ありそうなので、全部やっている

というだけなのだ。

 

勉強会の他の参加者に、なぜ複業の状態にあるのかと聞くと、
ある人は「自分自身のビジョンの達成の手段として必要だから」と答え、
ある人は「暮らし働く感覚としてそれがナチュラルだから」と答えた。

 

私は、どうだろうか。

師匠のひとりと仰ぐ人は、
「明治以前の日本社会の長い歴史の大部分は”百姓”と呼ばれる
あらゆる複業を手に持つ個人事業主が担ってきたのだ」と教えてくれた。

複数の所属・仕事があるという状態が性に合っていて心地よいという気がするし、
実現したい未来像・社会像をかなえられそうなのはこちらの方向で良さそうだ
という感覚もある。

ただ、他者から、そして時に自分自身から発せられるこうした問いが、
常に傍らにある気がしている。

「ひとつの仕事に集中して成果と収入をあげる自信がないだけではないか?」
「マルチジョブである自分がかっこいいなんて思っているのではないか?」
「どれかひとつに絞っていないことが自己成長を鈍らせているのではないか?」
「本当の”自分の登るべき山”が見つからないから手当たり次第にやっているのではないか?」

 

まだ山選びを完了させる前の過渡期にある自覚がある私にとっては、
自己陶酔して判断を見誤ったり、現状が最適解だという過信を持ったりしないように、
健全に自分への反論を持ち続ける必要があるようなのだ。

 

その私にとっていま大きなテーマとなっているのが、

いかにパーソナル・ミッション(自分自身に課す使命/社会へのコミットメント)を定義・言語化するか

ということだ。

キャリアにおける「いかだ下りと山登り」で言えば、
「私が登っているのはこういう山です」と周囲に対して明確に発信することだ。

内省して言語化を完了させた後で本格的にキャリアをスタートさせる
ことができれば綺麗ではあるが、

現実的には「走りながら考える」しかなさそうだ。

 

直感的に納得感を持って選択してきたつもりのキャリアが、願わくば手当たり次第の

「分散」ではなく、シナジーある経験として意味のある「統合」

になってほしいし、そうしなければならないと思う。
 

点と点がつながって線になるかどうかは自分次第。
ひとつひとつの選択が正解であったかどうかを決めるのは、
選択した後の自分自身の行動だ。

 

迷いながら、揺れながらも、経験と学びを重ねて、自分自身の軸を模索していくしかないのだろう。

その迷いや揺れ、それぞれの方向感覚を共有して、互いの選択のヒントを見つける機会を、GRASSでもつくっていきたい。

(文責:五井渕 利明